現在の最福寺の本堂は、約三百年前当山十五世 日胤上人の時代、元禄十六年(一七〇三年)から宝永六年(一七〇九年)までの六年間を費やし、八鶴湖畔にあったのを人夫一万人余を要して現在の所に移し建立しました。
その時本堂に使われた丸柱四〇本は、江戸浅草の観音様の古材を譲りうけたものと伝えられております。
その丸柱は長さ約七メートル(二十四尺)直径四十八センチ(一尺六寸)で檜材です。その丸柱四十本に正面の向拝二本で計四十二本、魔除けの数で成りたっています。
本堂の高さは鬼瓦まで十八メートル(十間)。広さは間口、奥行とも二十二メートル四方(十二間四方)一四六坪余りの大きく歴史のある心なごむ木造建築です。しかし明治四十二年(一九〇九年)それまでの萱葺の屋根から瓦葺に替えそれも八十年余の年月で痛みもひどくなり、平成五年に現在の銅葺屋根に替えられました。
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