この樹は、大正(1912~1925)年間、当時植物研究家として、又、千葉県立成東中学校校長として、名高かった中山音弥氏が県の委嘱を受け、県内の大木・名木を調査した折、発見したものである。
牧野植物図鑑によれば、「原産はインド。日本では近畿四国、九州の暖地に自生・栽培、喬木常緑樹、葉は楕円形、表面硬く、傷をつけると深く傷跡が残るので、文字や写経の材料となる・・・」
と書かれている。又、日本では葉書の語源であると言われ、インドでは古来、麻疹を除く霊木と崇められたと伝えられている。
多羅葉が最福寺に植えられたのは、天明四年(一七八四)年、最福寺第二十二世日治上人が本山妙満寺から入山の際、多羅葉の苗木を駕籠の先に下げて持ち帰り、奧庭に移植し爾来二百年余。
その間管理よろしきを得、多羅葉の北限と云われる東金の地において、現在は目通り・周囲約2.3メートル、樹高約20メートルの大木となっている。
客殿脇枝垂桜
江戸時代の絵図面にも
その姿が見える
樹齢数百年の大杉
身延山より移植した枝垂桜
京都御所より東京皇居に
映された橘を旧近衛師兵団
兵であった押堀の塚田恭治
殿が、特別に株分され当山に
移築した
1本の桃木の枝に紅白の
花が咲いています
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